コミケ帰りの遠い道のり
実施日:2004(皇紀2664、平成16)年12月30日〜31日
旅行区間:東京ビッグサイト→倉敷駅(新橋駅より東海道・山陽本線経由)
 

 

 年末の東京ビッグサイトで開かれる巨大イベント。その名はコミックマーケット。コミケと略称で呼ばれ、世界最大の同人誌即売会と言われているこのイベントは、あらゆる欲望が渦巻き、様々な情報が自主製作物を通してやりとりされる本音の世界。
 コミックマーケット準備会のスタッフ、出展者のサークルはもちろん、一般の来場者も全てコミケの参加者となる。そしてコミケはその参加者によって常に大きく中身を変動させる。故に、コミケの正体は今だ不明である……。
 

 

1,前章

 コミケには、日本全国から、そして海外からもたくさんの人が来ます。しかも今回は年末の開催なので、会場から直接、実家や親戚の家などへ行く人も多いはずです。
 私は、祖母の墓参りのために岡山県の倉敷へ行くことになりました。私の家は千葉県なので、通常はコミケが終わったら真っすぐ自宅へ帰ればいいのだけど、今回はコミケの会場撤収終了後、夜行列車でそのまま倉敷へ向かうことに。普段はなかなか体験できない地方参加者の気持ちを、味わってみたいと思います。

2,会場編

2-1 会場撤収

 例年通りの盛り上がりを見せて無事に終了したコミックマーケット67。弊サークルは抽選に漏れて直接サークル参加をすることはできなかったけれども、委託コーナーでそこそこの売り上げを確保。で、本を書いた本人である私は、いつものように神職のコスプレをして、お気に入りのサークルさんを回ったり、他のコスプレイヤーさんの写真を撮らせてもらったりして、思い切りコミケを堪能したわけですな。本の頒布をコミケスタッフに任せっきりにして。
 それで後のお楽しみが、会場の撤収作業。机とイスをトラックに積み込むのだけど、これがなかなか奥深い。しかも全身を使って行う作業なので、参加しているんだなぁ、という実感がリアルに味わえます。コミックマーケット本体と同じくらい、いや、それよりも楽しいイベントかも知れません。

 サークルさんがある程度帰ったところで、まず机・イスを適当なところに集めてから、床のガムテープ剥がしを行う。机の位置を決める鍵形の「バミ」、消防設備を囲んでいる「赤枠」、床の目張りのテープなど、ホールの床の至る所にテープが貼られているので、撲滅目指して頑張る。特に赤枠のテープは長いので、途中で千切れずにきれいに剥がせたときは爽快な気分になる。それはまるで、リンゴの皮をナイフできれいに剥けたときの喜びにも似ているような気がします。
ガムテープ剥がしが終盤になったところでトラックがホールに入ってくる。さぁ、いよいよ机とイスの積み込み開始だ!

 まずはイスの積み込み。私が撤収作業を行った東4・5・6ホールでは『ホートク椅子』が多かった。コミケでは全国から机と椅子をかき集めてくるのだけど、当然ながら様々な種類の机とイスが入り込む。イスだけでも、三和舞台アルミ椅子、コクヨ椅子、プラスチック椅子、木の椅子などがあって、さながらパイプ椅子の見本市のようでもある。それらのイスを専用の金属枠(台車?)に納めるか、トラックに直積みしていく。
ちなみにホートク椅子は三段重ねの台車に納める。一段に20脚ずつ、合計60脚を一台の台車に積み込むことになる。イスの山からイスを取り出す係、イスを台車に積み込む係、台車の後ろで、椅子が倒れないように押さえる係など、何人かで役割を分担しながら積み込みを行う。特にイスを台車に納める係は、なかなか重労働であった。適当なタイミングで役割を交代しながら作業をすれば、体力消費を押さえられるかも知れない。
 その時、こんな放送が流れた。
 「東4・5・6ホールの、机をトラックに積み込む人手が足りません。手の空いている人は手伝いに来て下さい」
ちなみに自分の作業しているホールが東4・5・6ホール。確かに人はまばらだ。

 その仕事の終わりが近づいた頃、トラックへの机の積み込み作業が始まった。床に積み重ねられている机を、バケツリレーの要領でトラックの荷台に押し上げていくのだ。早速自分もそこへ移動し、手伝いに入る。
 そのトラックが満杯になると、次の場所へ移動だ。すると移動先ではトラック上の人手が足りないらしく、誰か荷台に上がってくれるように頼んでいる。そこで早速、自分が上がることにした。
 ところがそのトラックは会場内で壱弐を争うくらい大きく、荷台までが結構高い。しかも荷台の側板を下げているので、ツルツルで登れやしない。そこで、荷台上の人が二人で私を引っ張り上げてくれることになった。私の両手首を掴んで、タイミングを合わせて引っ張り上げるのだ。
 地面から足が離れ、引っ張り上げられる瞬間、何とも言えぬ浮遊感を味わうことが出来た。両手を真っ直ぐ伸ばしているので、何だかスーパーマンにでもなったような気分がした。
 さて、大変なのはここからである。バケツリレーで運ばれてくる机を、相方と息を合わせてきちんと重ねていくのだ。机の扱いを間違えば、机の直撃を顔面に喰らうハメになるし、最悪荷台から転落することもあり得る。荷台上は視点が高くて気持ちいいが、逆に下で作業している人たちからは丸見えになっているので、作業に集中する。
 机の山がなくなると、トラックは私たちを乗せたまま、次の机の山のそばへ移動。会場内をトラックの荷台に乗って移動することなど、コミケの設営・撤収作業でしか味わえまい。遠くのスタッフさんに向かって手を振ると、ちゃんと応えてくれたぞ!

 ……そうして机で荷台が狭くなった頃、私は荷台から降りて、下から作業を眺めてみた。撤収組のベテラン(業者ではなく、コミケの1サークル参加者)は荷台上の積み上がった机の上で作業をしている。その高さは民家なら3階の床に相当するだろう。ずれた机を押し込むために持参したという大型のハンマーを片手に頑張っているその姿は、もはや職人である。
 しかし一つ疑問でならないのは、コミケの会場内に持ち込むことが禁止されているはずのハンマーを、なぜ持ち込めたのかと言うこと。持ち込み禁止物の持ち込みがバレたら、スタッフに禁止物を没収されて、二度と手元に戻ってこない。

 今回の撤収作業は、人数がいつもより少なかったにも関わらず、いつもより早く終わってしまった。18時ちょい前に終了宣言(と言っても、一部ではまだ作業は続いているのだが)が出ることなど、今までなかったのだ。いつもはもう30分は遅い。最後のトラック(自分が今まで荷台上で作業をしていたトラック)への積み込みが終了し、ホール内が完全に空になった時、盛大な拍手がわき起こった。

 19時頃から東1ホールに移動して、コミケ代表者(コミケの総統?)の米沢氏を囲んでの反省会に出る。彼の話によれば、捜査が難航していた奈良の誘拐殺人犯が、今日の午前に捕まったとのこと。
 それから、コミケを取り巻く環境の変化や、2005年3月21日に開かれるコミケットスペシャルのことなど、様々なお話を聞いた。

 反省会が終われば、いよいよ人間も撤収だ。皆、名残惜しそうに会場から出て行く。もちろん私も……。
 そして偶然一緒になった方々と新橋へ繰り出し、打ち上げパーティーに参加。コミケの裏話を聞いたり、面白い芸などを見せてもらったりして、充実したひとときを過ごした。

3,旅立ち編

3-1 ムーンライトながら(品川→大垣)

 ムーンライトながらは、東京〜大垣間を直通運転する夜行快速列車のこと。現在は、下りが東京〜小田原間、上りが大垣〜熱海間が全席指定になっている。そのため需要が急増する時期には、臨時に1往復増発される。これがムーンライトながら91号(下り。東京ではなく品川が始発)・92号(上り)で、全区間で全ての座席が指定となっている。
 コミケ会期中は冬休みの青春18きっぷのシーズンに当たり、需要が高まる期間なので、ムーンライトながら91号と92号も当然ながら運転される。
 私は、会場からの足も考えて、定期列車のムーンライトながらに品川駅から乗ることにした。本当は臨時列車に乗りたかったのだけど、指定席が発売開始後数分で完売してしまったので、定期列車にしたのだ。定期列車は小田原から自由席になる車輌と、名古屋から自由席になる車輌があるのだが、私の席のある車輌は小田原から自由席になる車輌だった。
 ムーンライトながらがやって来るのをホームで待っていると、コミケの会場内で偶然私を見かけたという男性がやって来て、話しかけてきた。彼は臨時列車の指定席券を予約しておいたのに、発券担当者のミスで切符がとれず、定期列車に乗ることになってしまったとのこと。
 さて、いよいよムーンライトながらがホームに入ってきた。彼の席はかなり後ろの方の車輌なので、ここでひとまずさよならする。
 私の席は、4号車の3番だった。出入口に近い、通路側の席である。定期のムーンライトながらに使われる373系電車はデッキ付きの特急形車輌だが、デッキと客室を仕切る扉がない。なので停車中はきっと、ここの座席は冷えるだろう。
 
 疲れていた私は、車掌の検札を終えるとすぐに寝た。
 そして目が覚めたのは、浜松に到着する直前であった。通路は小田原から乗ってきた人たちで溢れ返り、皆床に座っている。列車のドアは半自動に切り替えられてむやみに開かないようになっている上に、急増した人たちが断熱材の役割を果たしているので、外気が入らず車内は快適だった。
 定期列車は、浜松と豊橋で長時間停車する。まず浜松に停車だ。停車中の列車というものは、どうも寝るには不向きらしい。眠気はあっても寝付けない。それに加えて、そばの通路に座っている女子数人が、声優やガンダムの話で盛り上がっている。きっと芸能ジャンル目当ての参加者だったに違いない。コミケ最終日には芸能や声優サークルが配置されていたと記憶するのだが、コミケとコンサート(ライブ)が重なることが多いので、芸能サークルのサークル参加者は早々と撤収してしまう。そのためか机のシールの剥がし忘れが多いのもこのジャンルである。
 しかしまぁ、まだ4時にもなっていないと言うのに、彼女らのうるさいこと。まだ寝ている人もいるというのに。しかも私の隣に座っている人は、コミケ参加者ではない一般の人だ。もっと声の調子を落としたらどうだね?

 苦痛の時間を過ごすこと暫し。列車が動き出すと、ようやく眠りに入った。しかし豊橋に着くと、また目が覚めてしまった。そしてまた、退屈な時間を過ごす。ホームの方に目を向けたら、臨時のムーンライトながらがやって来て、すぐに発車していった。

 豊橋からは各駅に停まる。豊橋を発車して2、3駅過ぎたところで、再び眠りについた。そして目が覚めると、西岐阜を発車していた。名古屋で降りていったのか、立ち席者の数は急減していた。
 次駅の穂積を出たら終点の大垣である。眠気が溜まって動かない体に鞭を打ち、ようやく降りる準備をしたら、列車は大垣駅の構内にさしかかっていた。さて、大垣駅の名物と言えば、大垣バトルである。乗り換え列車に座りたいがために、皆我先にと接続列車目がけて走るのである。跨線橋の階段に最も近い有利な位置に行けるかどうかも勝敗の鍵を握っているので、移動することにする。しかし通路が人でふさがっていては移動どころではなく、自分の乗っている車輌のドアへ行くのがやっとであった。

 そして列車はホームに到着。ドアがゆっくり開き、決戦の火蓋は落とされた。
 しかし、皆一斉に駆け出すかと思いきや、皆落ち着いて、ゆっくりと進んでいく。そうして難なく、接続列車に座ることが出来た。

3-2 雪国へ(大垣→米原)

 ムーンライトながらからの接続列車といえば、JR西日本・網干運転所の113系だった。ムーンライトながらになる前の『大垣夜行』の時代からそうだった。旅人を待ち受けるのは、いつもボックスシートだった。
 しかし、いつしか113系は引退し、数年前まで京阪神地区の新快速でならしていた221系に交代していた。221系の転換クロスシートに腰を下ろし、まだ薄暗い関ヶ原の車窓を眺める。空はどんよりと曇り、全体が薄紫色をしている。地面はほんのり湿っていた。
 すれ違う列車といえば、ほとんどが貨物列車。あの貨車たちは、どこから来て、どこへ行くんだろう。そしてたまに普通列車とすれ違えば、目も覚める。その普通列車たちは皆、JR東海の車輌だった。117系に313系。東海道本線なのに、湘南色の車輌はいやしない。

3-3 白銀の矢(米原→姫路)

 米原ではすぐに新快速に接続する。でもその新快速は、今自分が乗ってきた列車の乗り換え客で混雑するし、 もう一本後の新快速でも姫路から先は同じ列車に接続するので、一本見送ることにした。
 40分くらいの空き時間ができたので、朝食を摂ることにした。新幹線の乗り換え改札口の脇にある 立ち食いそば屋で、うどんを頂く。ついでに近くの自販機で飲み物を調達した。
 適当に暇を潰し、目的の列車の発車10分前にホームに降りてみると、雪が降っていた。
 雪は風に乗って、屋根の下まで入ってくる。そしてホームに着地しても、雪の粒はなかなか融けやしない。
 既に列車が入っていたので、車内で発車を待つことにした。車輌は223系。時速130kmで走る、京阪神のトップガンである。その転換クロスシートに座って、暫し時を待つ。半自動のドアは締め切られ、車内は温かい。乗客はまばらで、落ち着いた雰囲気がある。
 豊橋からの列車の接続を受けて発車した新快速は、早速時速130kmまで加速した。窓の外は雪が積もり、白銀の世界が広がっている。関ヶ原から彦根あたりまでは、気候区域では日本海側に属するのだそう。窓の外では、吹雪になっていた。
 次駅の彦根を発車すると、新快速は本性を現した。駅をどんどん通過していく。ホームがアッと言う間に後方へカッ飛んでいった。全速力で通過する新快速をホームから見たら、どんなふうに見えるんだろう。
 京都が近づいた頃には、外の積雪はなくなっていた。都市化の影響だろう。ここから新快速は、ライバルの私鉄を蹴散らしながら走っていく。乗客の数は、立ち席者が出るほど増加していた。
 緩行線と並走しながら大都市を行く新快速。しかし西明石で緩行線とさよならすると、車窓の風景にのどかさが蘇った。高架化された加古川駅を過ぎ、市川を渡れば、列車は終点の姫路駅に到着。

3-4 襲い来る白魔(姫路→岡山)

 姫路駅は混乱していた。姫路から先は雪でダイヤが乱れていたのだった。大幹線の山陽本線が、である。
 姫路から先の山陽本線には、115系1000番台という電車がたくさん活躍している。 115系は元々、勾配と雪と寒さに強い近郊形電車だが、1000番台はさらに寒地向けに特化したバージョンである。115系の中で最強のバージョンであり、長野や新潟の豪雪山岳地帯で活躍している代物である。 それをもってしてもダイヤが乱れるのだから、相当な大雪なのだろう。
 そんなわけで、姫路から岡山まで臨時の普通列車が出ることになった。姫路10時46分発で岡山には90分後の12時16分に到着する(通常の所要時間は80分)。本来は姫路11時02分発の三原行きに乗る予定だったから、もしかしたら予定より若干早く倉敷に到着するかも知れない。
 構内放送で案内された乗車位置は、8両分あった。この時間の岡山行きは3〜4両程度の編成だから、座れるチャンスが倍になったということだろう。これはありがたい。
 115系かな、と思って待っていると、発車時間間際になって221系がやってきた。これが今回の臨時列車である。ドアが開くと、皆一斉に車内になだれ込んだ。列の先頭に並んでいた私は、もちろん着席に成功。ちなみに岡山まで221系が乗り入れることは、臨時快速の『チボリ号』を除くと極めて珍しいのだそう。
 数人の立ち席者が出るくらいの乗車率で発車した列車は、順調に山陽本線を西進した。網干を過ぎたあたりで町に雪が積もり始め、建物の数に反比例して積雪量は増加していった。相生で赤穂線の列車に接続したが、その赤穂線のダイヤも正常が保たれているとは限らない。
 相生を出ると、車窓に山が目立ち始めた。夏には美しい姿を見せる水田も、セミで賑わう林も、今は白銀の下に眠っている。雪を屋根に載せたあの農家では、きっと今頃、みんなでコタツや囲炉裏を囲んで暖をとっていることだろう。
 駅間がすっかり長くなった頃、ある駅を発車した列車は115系の普通列車とすれ違った。そしてしばらくすると、また普通列車とすれ違った。しばらく車窓を見ていると、JR西日本の最新振り子式気動車キハ187系の特急列車とすれ違った。そしてしばらくすると、115系の普通列車とすれ違った。そしてようやく次駅に到着した。
 なんと、列車は1駅の間に、4本の旅客列車とすれ違ったのだった。このあたりは本来、旅客列車は1時間に1〜2本の割合で運転されているだけなので、もしかしたらこれからダイヤ大乱れの予感?
 予感は和気駅の手前で的中した。もうすぐ駅に到着するかというところで、列車は停車してしまったのだ。なんと、ポイントに雪が挟まって切り替わらなくなってしまったので、保守要員が来てポイントを復旧するまで、このまま停まるというのだ。挟まれたら角材も割れるほどの強力な力で閉じているというポイントも、自然の力には勝てなかった。
 主電動機(モーター)を止めた車内が、静けさに包まれる。
 しばらく風景を見て気を紛らわせることにする。ああ、白銀が目に眩しい。しかしいつまで経っても列車は動く気配すらない。次第に退屈になってきたので、カメラのマニュアルでも見て気を紛らわせることにする。
 しかし、車内で細かい字の文章を読んだのは、愚かな行為だった。次第に気持ちが悪くなってきたのだ。もしかして乗り物酔い?1年間に鉄道の取材だけで数千kmも列車に乗って、列車慣れしているはずのこの私が列車酔い?いや、あり得ない。
 ……そういえば、冬コミの新刊やコスプレ衣装の準備(委託コーナーの参加者は、会場への本の搬入がコミケ開催の前日なので、直接参加のサークルより締め切りが早いのだ!)で、コミケ開催期間中も含めて1週間は夜更かしした記憶が。 家で最後に寝た時は、午前3時に寝て午前6時に起きた。そうか、気分が悪いのは疲れのせいだったのか。原因を知って、まずは一安心。
 停車してから19分後、列車はようやく動き出した。和気駅のポイントには、ヘルメットをかぶった作業員たちがたくさん集まっていた。
 和気駅からは、列車は難なく順調に走った。しばらくすると新幹線の高架と並走を始めた。終点の岡山が近い合図である。ポイントを通過するごとに線路の数が増え、 列車はいよいよ岡山駅の構内へ入った。右側には、気動車たちがたくさん停まっている。キハ47にキハ40。みんな岡山色。その中で1両、寂しそうにしているのは、 広島色のキハ48です。
 さぁ、いよいよ岡山駅に到着するぞ、と思ったその時、列車はその場に停車してしまいました。信号が変わり次第発車するとの車内放送が入りましたが、ちっとも動く気配がありません。そばには2両編成のキハ47形気動車が留められていましたが、気動車が先に駅に向かって発車していきました。
 結局4分間その場に停まった後、列車はようやく動き出しました。定刻より23分遅れでの到着です。
 雪の積もるホームでは、向かい側に2扉の115系3000番台(普通列車)が待機中。さぁ、乗り換えです。

3-5 そしてゴールへ(岡山→倉敷)

 屋根のないところはかなり雪が積もっています。つやのあるレンガのホームは、雪を載せてますますツルツルです。ホーム端で列車の撮影をするときには、足下の罠には充分気をつけたいものです。
 さて、今度の列車は4両編成で、車内はセミクロスシート。クロスシートは転換クロスです。クロスシートはほぼ満席、ロングシートはがら空きという按配の混み具合です。
 荷物が多いので、最後尾車輌の一番後ろのロングシートに座ることにしました。
 岡山駅を発車し、岡山運転所やコンテナヤードを過ぎると、穀倉地帯に入りました。水田は皆、雪の下。線路と道路の間にある水路には、冷たそうな水が流れています。
 そうして岡山駅を発車してから15分後、列車は倉敷駅に到着しました。時間は13時ちょうどくらい。通常の予定より12分くらいの遅れです。ようやく長旅が終わりました。さぁ、昼飯でも食いに行くか。


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