スハ44系
 


 1951(昭和26)年、東海道本線の特急列車『つばめ』用の客車として登場した、我が国最後の“旧形客車による特急形”客車です。
 通常、旧形客車は系列を組まないので、〜系という言い方は本来しないのですが、スハ44系と言った場合、スハ44形、スハニ35形、スハフ43形が含まれます。この客車が登場した当時、特急は非常に特別な存在で、庶民にとっては憧れの存在でした。その列車に使われるこの客車もまた特別で、3等車(今の普通車と同じ様な感覚の車輌)でありながら、出入口は1カ所(この当時の客車は、ふつう2カ所だった)で、客室には一方向向きの2人がけシートがずらりと並んでいます(シートピッチは83.5センチ)。そして天井には、当時はかなりの贅沢品だった扇風機が取りつけられていました。そのため現在でも、普通の3等車“並ハ”に対し、こちらは“特ハ”と呼ばれています。
 座席は固定されていて向きを変えることが出来なかったし、最後尾には展望車が連結されていたので、折り返し運転の時には△線を使って編成ごと向きを変えていました。これは、この客車を使用する特急の運転本数が1日わずか数本だったからこそ出来た芸当なわけで、このことからも特急という存在がいかに特別だったかが伺えます。

 登場時は黒に近い焦げ茶色(茶色1号。ちなみに、現在見かける茶色の客車・電気機関車は、昭和31年頃に採用された、もう少し明るい茶色“茶色2号”に塗られている)に塗られ、C62形蒸気機関車に牽かれて走っていました。
 1956(昭和31)年11月19日の東海道本線全線電化の際には機関車(EF58形が牽引)・客車とも明るいライトグリーン、いわゆる『青大将』に秘密裏のうちに塗り替えられて、利用客をアッと言わせました。この塗装で『つばめ』『はと』『さくら』に使用されました。

 1960(昭和35)年6月1日にこの客車が使われていた東海道本線の特急が電車化され、捻出されたスハ44系は上野〜青森間に新設された特急『はつかり』に転用されました。塗装はブルートレインのように、青地(ただし現在のブルートレインの青より、もう少し暗い色)の車体にクリーム色の帯2本を巻くという塗装に改められました。
 しかし、はつかりでの活躍は2年間で終了し、その後は臨時列車や急行列車に使用されることになりました。固定式の座席では使いにくいので、転換クロスシートに改められたり、向きを変えて向かい合わせにして、ボックスシートにしたりしました。車体も茶色や、急行用に整備した旧形客車と同様に、紺色に塗り替えられました。
 急行『日本海』などで活躍した同車でしたが、急行列車が次々と電車・気動車化されたり、特急に格上げされたりして仕事を失うと、最終的には普通列車として地域輸送を担うことになりました。

 もうこの頃になると、この客車よりも遙かにグレードの高い特急形車輌を使った特急列車が当たり前となり、しかもそれに気軽に乗れるようになっていました。普通列車用の電車や気動車ですら、この客車よりも乗り心地が良いという時代になっていました。もはやこの客車が特急用の特別な車輌であったことに気付く人は僅かとなっています。

 最後のスハ44系2両(スハフ43形)が四国で最期を迎え、スハ44系は全車国鉄から退きます。しかし、この客車の特別性が認められ、スハフ43形2両が日本ナショナルトラストの手によって保存され、大井川鉄道で再びその走りを見せることになりました。車内は座席が向かい合わせにされ、普通列車用に改められた状態のままですが、それでも貴重な車輌であることには全く変わりありません。

 


 
↑日本ナショナルトラストの手によって保存されている、スハフ43形客車。特急はつかりに使われていた時の塗装が再現されている。
 
(2000年1月撮影)






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