マイテ49(マイテ49 2)
 


マイテ49は1938(昭和13)年に登場した1等客車で、東海道本線の特別急行『つばめ』『はと』『富士』の最後尾に連結されていました。
登場時は冷房が搭載されていませんでしたが、昭和21年頃に搭載され、形式名も現在の『マイテ49』に改められました。
車内は旧宅の応接室を彷彿とさせる洋風の作りで、360°自在に回転できるソファーが赤絨毯の上に並んでいます。冷風の吹き出し口や調度品もデザインが工夫され、高級感を出しています。

◆時代に翻弄された、マイテ49と特急『つばめ』◆
この車輌が特急として活躍していた頃は、料金の階級は1等から3等までの3階級に分かれておりました。3等は現在の普通車、2等車はグリーン車のような感覚で、1等はそれ以上の特別な存在でした。
 何しろ当時は特急料金だけでも庶民には高価だったのに、2等車に乗るためには乗車券・特急券とも3等車の倍額が、1等車に乗るためには、3等車の3倍の料金が必要だったからです。なんと1等車の料金で、3等車なら同じ列車の同じ区間を1往復半も出来てしまうのです。そんなわけで、1等車に乗ることが出来たのは、財閥の幹部か省庁役員以上のクラスに匹敵する、かなりの高額所得者に限られていたようです。「マイテ49には、その昔、偉い人たちがたくさん乗ったんだよ」とよく言われますが、これは本当です。

 1943(昭和18)年10月1日、太平洋戦争の激化により、軍事輸送を優先させるためにつばめは廃止されました(軍用列車用にダイヤを開けなければなりませんからねぇ……。翌年4月1日には、全ての特急と食堂車・寝台車が廃止になります)。
 全ての国民が協力し、結束して立ち向かった太平洋戦争ですが、日本は負けてしまい、アメリカを中心とした連合軍が進駐して日本はGHQの管理下に置かれました。GHQは進駐軍とその家族の移動のために、戦災を免れ良い状態で残っていた鉄道車輌を接収。当然マイテ49(その頃は冷房が搭載されておらず、その分軽かったので、『スイテ49』という形式名でした)も接収されてしまいました。
 その頃庶民は、敵国の機銃掃射で穴だらけになったり、割れた窓ガラスの代わりにベニア板が填め込まれた、それも荷物車や貨車をそのまま転用したような客車で、満員以上のぎゅうぎゅう詰め(屋根や機関車の炭水車、更には連結器の上にまで人が乗っていた)になって移動していました。一方で、きれいな客車で、みんな座席に座って快適に移動する進駐軍とその家族。日本の庶民にとって、いくら金を出しても乗れない進駐軍の列車は、雲上の存在だったのかも知れません。
 
 そんな混乱した暗い世の中でしたが、しかし、日本の戦後復興は着実に進んでいきます。GHQに接収されていた客車も、進駐軍の縮小に合わせて順次返還されていきました。
 そして、1949(昭和24)年9月15日のダイヤ改正で、ついに東海道本線に特急列車が帰ってきました。その名は『へいわ』。そしてその翌年の1月1日、へいわはつばめに名を改めて、正式につばめが復活しました。これでやっと、マイテ49も日本の特急列車に復帰できるようになりました。
 1951(昭和26)年には新生特急用3等車スハ44形とスハニ35形を仲間に加え、1956(昭和31)年11月19日の東海道本線全線電化の際には機関車・客車とも明るいライトグリーン、いわゆる『青大将』に改めて、利用客をアッと言わせました(当時の客車は皆、黒に近い焦茶色に塗られていた)。

 1960(昭和35)年6月1日、つばめは151系直流特急形電車に置き換えられ、その1ヶ月後、運賃は2等級制に改められました。これには、電車化による1等車廃止が大きく関わっているものと思われます。
 青大将の客車たちはことごとく解散させられ、他の客車同様の茶色や紺色に塗り替えられて、急行列車や臨時列車に転用されました。マイテ49はマロテ49に名を変え、臨時列車に使用されました。その後、他の1等車たちが廃車、或いは車体台枠を利用して10系客車の仲間に改造されていく中で、マイテ49 2(マロテ49 2)は大阪・弁天島の交通科学博物館に静態保存されました。

◆マイテ49 2の復活◆
博物館で余生を送るマイテ49 2が復活したのは、1987(昭和62)年のことでした。危険を少なくするために展望デッキの柵が嵩上げされ、見事に本線に復帰。山口線を走るSLやまぐち号への臨時増結運用の他、様々なイベント列車で活躍しています。
 2000年12月31日から2001年1月2日にかけて、京都〜伯備線経由〜出雲市間を往復で運転された臨時団体急行列車『出雲大社初詣号』では、団体の急行列車ではあったものの、久々に優等列車として東海道・山陽本線を疾走。DD51形ディーゼル機関車の重連に牽引されて、3軸台車の重厚で安定した乗り心地を発揮しました。時にはJR西日本の高性能電車221系の快速と互角に渡り合ったり、並走する阪急の特急と熾烈なデッドヒートを見せるシーンも。
 マイテ49 2は、整備をする職員たちの腕の良さもあり、全く衰えを見せません。これからもたくさんの人を乗せて、大いに活躍して欲しいと思います。

 


↑臨時団体急行『出雲大社初詣号』で終点京都駅に到着したマイテ49 2。
ちなみに後ろに連結されている青い客車は、ブルートレインの一党スハネフ15形。
2001年1月2日撮影。
 


 


↑マイテ49 2の車内。木とニスの香りに包まれた、落ち着いた内装が特徴。





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