キハ20・キハ52



キハ20形国鉄色
↑水島臨海鉄道で活躍するキハ20(2005年8月5日撮影)。
写真の車輌は、登場時の塗装(国鉄色)に塗り戻されたもの。





 

キハ52形国鉄色
 

↑登場時の塗装に戻された、JR西日本・大糸線のキハ52。2005年7月29日、糸魚川で撮影。
他に、新津と盛岡のキハ52形の一部も、登場時の塗装に戻されました。



 

キハ52形唯一のタラコ色
 

↑国鉄色の一般形気動車は、塗装の手間を省くために、昭和50年代から写真のような一色塗り(首都圏色。別名、タラコ色)に塗り替えられていきました。
写真はその塗装に塗り戻された、JR西日本・大糸線のキハ52形。2005年8月7日、糸魚川で撮影。



 

キハ52形飯山色
 
↑JR東日本に所属する、飯山色のキハ52。飯山線から引退して間もない頃の撮影なので飯山色のままですが、後に新潟色(気動車版)に塗り替えられていきました。
(2000年1月1日撮影)
 



 
キハ20は、非電化区間の無煙化(蒸気機関車の廃止)を進めるために、1957(昭和32)年に登場した一般形気動車です。仲間には、片運転台のキハ25形、郵便・荷物室のついたキハユニ26形、北海道仕様の両運転台車キハ21形やキハ22形などがいます。
 普通列車としてはもちろん、急行列車にも使用されました。

キハ52形はキハ20形を2エンジン車(エンジンを2基搭載)にした強力型で、1958(昭和33年)に登場しました。さらに1962(昭和37)から製造が始まった2次車は100番台に区分され、急行形気動車キハ58系と同じエンジンが搭載されてますますパワーアップ。また、車体も伸びて大型化されています。

現在、キハ20のグループは全てJRから引退し、私鉄に譲渡されたキハ20形とキハ22形が少数活躍するだけになりました。また、群馬県の横川機関区の跡地に作られた『碓氷峠鉄道文化むら』では、1両が静態保存されています。
 一方キハ52形は、100番台のみがJR東日本とJR西日本に継承され、最終的に米坂線、羽越線、信越本線(新潟〜新津間)と、大糸線(南小谷〜糸魚川間)で活躍。
 2010年3月、大糸線を最後に定期運転を終了し、大糸線で活躍した3両のうちの125号車が、千葉県の いすみ鉄道 で動態保存されています。

キハ20の仲間には、小湊鉄道のキハ200形気動車がいます。国鉄の気動車と併結して、内房線の千葉〜五井間を走行したこともあります。
見た目はキハ20とは若干異なりますが、現在でも同鉄道の主力として活躍しています。





 

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