寝台特急富士


寝台特急富士   2002年、東京駅にて。
 


 国鉄(現JR)の名門特急富士です。
 富士の歴史は戦前にまでさかのぼります。戦前の富士は最後尾にマイテ49形などの1等車を連結していました。ユーラシア大陸へ行くインテリたちも利用するなど、大陸特急としての一面もありました。
 太平洋戦争中は軍用列車を優先させるために、全ての特急列車と優等客車が廃止。当然この列車も廃止となりました。
 1964(昭和39)年10月1日のダイヤ改正で、富士は寝台特急として、東京〜熊本・大分間を結んでいた寝台特急『みずほ』の大分行き編成を独立させた形で復活しました。当時使用していた客車はブルートレインの始祖、今はなき20系客車です。
 翌年には、富士は西鹿児島(現在の鹿児島中央)まで延伸。実に約1600kmもロングランする長距離選手となりました。その後客車は24系客車にかわり、サービスも向上しましたが、1980(昭和55)年には南宮崎〜西鹿児島間が、1997(平成9)年には大分〜南宮崎間が廃止され、現行の運転区間となりました。さらに『さくら』『はやぶさ』が1999年秋に東京〜鳥栖間が併結運転となりましたが、同一の編成を使用する富士も、分散電源方式の14系客車と集中電源方式の24系客車の併結運転となりました。
 2005年3月1日のダイヤ改正でさくらが廃止され、富士ははやぶさと併結運転になりました。それに伴い、EF66に取り付けられるヘッドマークのデザインが変更されました。
 2009年3月14日のダイヤ改正で、『はやぶさ』と一緒に廃止となります。
 写真は、単独運転時代の寝台特急富士です。機関車はパワーが自慢の直流電気機関車EF66形。

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