営団(東京メトロ)5000系




営団地下鉄(現在の東京メトロ)東西線5000系電車。2002年、西船橋駅で撮影。




5000系ステンレス車の車内。
(壁の色がもっと白いものや、戸袋窓のある車両もいます)




トラブルで葛西折り返しになった時の、珍しい写真。日本橋にて。
 




 日本の地下鉄で初めての20m級・4ドア車。地上を走る国電と同サイズの車輌です。1964(昭和39)年〜1981(昭和56)年までに、アルミ製の車輌21両を含む428両が製造されました。
 5000系が登場した当時は、まだ蒸気機関車が闊歩していた時代。製造工場から東西線に搬入する時、非電化区間を走る際にはSLに牽かれていました。また、搬入経路の関係で山手線を通った際には、なんと白昼堂々、東京駅を通過していたそうです。
 5000系は東西線と千代田線に投入され、東西線では3両、千代田線では5両編成を組んでいました。後、両線とも編成の延伸が行われ、最終的にはどちらも10両編成となっています。
 千代田線は1971年に常磐線との相互直通運転が始まり、5000系も常磐線に乗り入れました。しかし小田急電鉄には乗り入れできず、小田急との相互乗り入れが開始された後は、5000系は次第に足手まといになっていきました。そのため1981年までには全車両が6000系に置き換えられ、支線用の3両編成2本を除き、全て東西線に転属しました。
 5000系が営業列車として常磐緩行線を走っていた時は、特急『ゆうづる』急行『ときわ』など、常磐線の様々な銘列車と活躍を共にしました。旧形客車、583系電車、キハ58系などとすれ違ったり、並走したかも知れません。
 東西線の車輌も、乗り入れ先の中央緩行線や総武緩行線で、急行『アルプス』(ビュッフェ車のサハシ165形入り)や急行『内房』などと活躍を共にしています。5000系は、かなりの銘車だったりするわけですね。

 さらに5000系は、1978(昭和53)年2月28日深夜、荒川・中川鉄橋(長さ1236mで当時は私鉄で一番長い橋。現在でも私鉄第二位の長さを誇る)で竜巻に遭遇。トラス橋の中で脱線横転してしまいました。地下鉄の列車が竜巻に巻き込まれることは、1000年に一度あるかないかという極めて稀少なことなのだそうです。

 東西線は東はJR総武本線(の緩行線)、及び第三セクターの東葉高速鉄道と、西はJR中央本線(の緩行線)と相互乗り入れをしています。東西線は急勾配が連続するので(最大40パーミル)、当然ながらこの5000系も山岳路線の仕様になっています。東西線の車輌は三鷹までしか行きませんが、このまま中央本線を西進し、塩尻を経て名古屋まで走ることは、性能的には可能ではないかと思われます。
(東西線に乗り入れるJRのE231系800番台は、試運転の時に大月の先まで走りました)

 現在は東西線でも後継車輌(05系)への置き換えが完了しています。一部が東葉高速鉄道に譲渡され、1000系として第2、第3の人生を歩んでいましたが、こちらにも新型車両(2000系。外観イメージは東葉高速鉄道カラーの帯を巻いた東京メトロ05系、といった感じ)が導入され、2006年に置き換えが完了しました。
 5000系はステンレス製の編成が数本、インドネシアへ譲渡され、海外進出を果たしました。また、東西線ではさよならイベントとして、2007年1月27日に深川の車両基地で5000系の展示・撮影会が行われました。



 


営団(現 東京メトロ)東西線5000系アルミ車。2003年5月下旬、落合にて撮影。



5000系アルミ車の車内。壁の色が白い車輌もあります。
アルミ車は、全て戸袋窓がついています。



 

5000系の客室内にある扇風機。ステンレス車の扇風機も同型です。
 

 

初期の車輌は車外からの空気を取り入れる円形のファンが、後期の車輌には写真の物とは異なるデザインの扇風機が取り付けられていました。
冷房化と合わせて、現在のデザインの扇風機に交換されました。





 


2007年1月27日に、深川の車庫で5000系のさよならイベントが行われました。
この後アルミ車は引退し、廃車となりました。
また、ステンレス車にはヘッドマークが取り付けられ、3月中まで運行されました。
 





 営団5000系の車体は通常、ステンレスでできていますが、1966(昭和41)年に東西線向けに増やされた車輌の中には、アルミ製のものがありました。当時の東西線は7両編成。アルミ製の車輌は3編成分の21両が導入されました。性能は通常の5000系と同じですが、重さは約5トンほど軽くなっているそうです。
 営団では6000系以降の電車が全てアルミ製になっていますが、そのことを考えると、このアルミ製の5000系は営団におけるアルミ車の元祖と言えるでしょう。

 なお、10両編成に編成を組み替えた際、アルミ車は10両貫通編成と、5両編成を2本つなげた分割編成が出来、1両が余りました。余った車輌はステンレス車の編成の中に入れられましたが、結局は後継車輌の05系の材料にされてしまいました。

 現在は、分割編成は千代田線の支線に転属され、3両編成2本として使用されています(残り4両は廃車)。東西線では写真の10両貫通編成1本だけが活躍していましたが、2007年2月に除籍となりました。
 2007年1月27日には深川の車両基地で、ステンレスの車輌と並べての展示・撮影会が行われました。







 

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