EF64形


中央本線を走るEF64形電気機関車(0番台)
 


 EF64形は現在、中央本線や上越線などの直流勾配線区で大活躍していますが、元々は奥羽本線の板谷峠(福島〜米沢間)越えの補機として登場しました。つまり地域限定の機関車だったのです。
 板谷峠は30パーミルを越える急勾配が連続する難所ですが、それでも電車や気動車は単独で走ることが出来ます。しかしそれでは充分なスピードが出ないので、機関車の助けが必要でした。電化されていなかった頃は、より強力な力を出せるように工夫した蒸気機関車を使って峠に挑んでいたそうです。
 そんな峠の新鋭として、昭和39(1964)年に登場したのがEF64形電気機関車でした。
 板谷峠はヨン・サン・トオ(昭和43年10月)のダイヤ改正で交流に切り替えられ(理由は、奥羽本線の、板谷峠以外の区間が交流で電化されたから、交流機関車の直通運転ができるようにするためだと思われる)、直流専用のEF64形は他線区への転属を余儀なくされました。
 ところがいざ他線区へ移ってみると、EF64形はその性能をフルに発揮して大活躍。中央本線や伯備線にまで進出し、客車や貨車の牽引をこなしていきました。急行『ちくま』を牽引する姿を覚えている方も多いでしょう。0番台はその優秀さが買われたのか、79両まで増やされたのでした。
 さらに昭和55(1980)年には、上越線用に、さらに雪に強くした1000番台が登場することになります。この1000番台は車体外観もさることながら、台車の仕様変更や区分けされた機器など、中身も0番台とは大きく異なる仕様となって登場しました。
 1000番台まで登場するとは、EF64形0番台も、ここまで出世するとは夢にも思わなかったことでしょう。

 その後、古巣の板谷峠は線路の切り替えと標準軌化が行われて、『山形新幹線』と呼ばれるようになったことはあまりにも有名です。

 平成の時代まで1両の廃車も出さずに活躍したEF64形でしたが、寄る年波と科学技術の向上には勝てず、ついに後継機への置き換えが始まってしまいました。主な働き場所だった中央本線向けに新形機関車が登場し、EF64形の廃車が始まっています。
 EF64形の勇姿をカメラに収めたいなら、あと数年の間がチャンスですね。



 

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