419系

 


 


↑種車の面影が残るクハの前面。(2006年1月4日、米原にて)




↑419系が“食パン”と呼ばれる所以は、この切妻の前面形状にあり。
(2005年7月29日、直江津にて)




↑419系の車内。高い天井、封印された上・中段寝台、広いボックスシートが特徴。
 




 419系は、北陸本線の客車普通列車を置き換えるために、1984(昭和59)年に登場した電車です。

 北陸本線は、米原〜長浜間と梶屋敷〜直江津間が直流、それ以外の区間は交流で電化されたので、電車は両方の電源方式に対応できるよう、交直両用にする必要がありました。しかし、直流専用、交流専用の電車に比べ、交直両用の電車は機器の数が多く、値段もその分高価です。
 特急列車や急行列車は特別料金を取るし、電車化によるスピードアップ・車輌のグレードアップの効果も大きいので、積極的に電車化されました。
 ところが普通列車の場合、沿線人口が多く利用客の多い常磐線や北九州地区なら高価な電車を投入してもそれに見合う効果は得られますが、北陸は沿線の人口が比較的少ないので、電車化してもそれに見合うメリットが得られるかどうか疑問でした。むしろ、今ある客車を、貨物と共用できる電気機関車で牽いて走らせた方が、むしろ経済的でした。客車の他に、気動車も使われました。
 しかし、客車は戦前〜戦後の混乱期に作られた『旧形客車』が中心で、車輌の老朽化が問題になっていました。しかも手動ドアのため、ラッシュ時には乗客の転落事故の危険があります。終点では機回しも必要なので、折り返し運転をするときには不便です。加速の悪さはスピードアップの障害となり、それが列車の増発をも阻んでおりました。

 そこで、急行列車の削減で余り始めていた急行形電車を、普通列車に使うことになりました。しかし、それだけでは数が足りないので、全部の客車列車を電車化することができません。あいにく国鉄は赤字が膨らんでいて、新車を導入する余裕がありません。
 それで考えついたのが、やはり寝台特急の削減で余り始めていた583系寝台電車を、普通列車用に改造して使うことでした。

 そこで登場したのが419系です。クモハ・モハ・クハの3両固定編成とし、中間車を改造して作る先頭車(クモハと一部のクハ)は加工部分が少なくて済むよう、切妻形にされ、食パンのような面立ちになってしまいました。ドアを1箇所増やして2カ所とし、デッキを取り払って、ドア付近の座席をロングシートにしました。中間車のトイレ・洗面所は取り払われて、立ち席スペースになりました。
 普通列車は加速性能が命ですが、それが良くなるように、廃車になった通勤形電車101系のギアを使って歯数比を変えました。しかしその分、最高速度が低くなってしまい、他の普通列車用の車輌とは一緒に使えないため、419系専用に組まれたダイヤの列車にだけ使われます。
 車内は上・中段寝台が畳まれた状態で封印され、特急時代そのままの幅の広いボックスシートと高い天井に種車の面影が残ります。

 乗り心地は良いですが、ドアが車輌の端にある上に、ドアの幅も狭いので、通勤ラッシュは大変苦手です。しかも特急用の広いシートピッチが災いして、着席できる人数が少なくなっています。
 北陸本線の全線と、湖西線の(敦賀)〜近江今津間で使われていましたが、交直両用の後継車両521系におきかえられ、2011年3月に引退しました。





          
 

←戻る

 

inserted by FC2 system